社会のテスト勉強法【平安時代前半編】覚えるのはコレだけ!

Pocket

794年に、桓武天皇が都を平安京に移したことで平安時代がスタートしたわけですが、一体何年ぐらい続いたでしょうか?

・・・・・

・・・・・

・・・・・

答えは「約400年」です。

ということは、江戸時代よりも長いのです。

ですが、どの教科書であっても平安時代の内容は8ページ程度に収まるため、テストに出る内容はギュギュっと絞られます。

(400年続いた平安時代の重要ポイントよりも、45年しか続かなかった明治時代の重要ポイントの方が多いぐらいです)

今回は、なかなかヤル気にならないテスト勉強が、少しでも楽しいものになるように、武士が本格的に活躍する前の出来事を、ストーリー形式でお伝えしていきます。

 

さらに、平安時代の文化についても説明します。

「文化を出すのが大好き」という先生が多いのですので、最後まで読んで文化の特徴も理解しておきましょう。

 

中学生のためのテスト勉強法【歴史ー平安時代前半編】

桓武天皇はどんな人?

もともと、784年に長岡京に都を移したものの、不幸な出来ことがたくさん起きたことによって「場所を変えねば」と思ったのです。

そこで、794年に都を平安京に移したのです。

(京都に都を移した理由は?)

平安時代以前(奈良時代)は奈良に都があったものの、奈良にいる僧が、政治について、求めてもいないのにアドバイスをしてくるようになったのです。

しかも、それが全く参考にならないのです・・・

そこで、「僧に振り回されるのはゴメンだぜ!」ということで、京都に都を移したのです。

 

平安京に都を移した後、「国司の不正は許せん」ということで、徹底的に取り締まりました。

当時、国司の中には、農民から集めた税を自分のものにする悪いヤツもいたのです。

また「農民の負担がいくら何でも重すぎるだろ」ということで税や労役の負担を、出来る限り軽くしたのです。

(なかなか男気がありますね)

 

さらに、「権力が及ぶ範囲を広げよう」ということで、東北地方も支配しようと考えていた桓武天皇

しか~し、東北地方の人々からしれみれば「いきなり何だよ」「支配されてたまるかよ」となるわけです。

(このように、朝廷の指示に従わない人たちを蝦夷(えみし)と言います。

 

そこで、桓武天皇はどんな手を打ったのか?

そう、坂上田村麻呂征夷大将軍に任命して「蝦夷たちを従わせて来い!」と指令を出したのです。

(何という無茶ぶり・・・)

 

ですが、坂上田村麻呂は、ものの見事に役目をはたしたのです。(あっぱれ!)

これでめでたしめでたし・・・とならないのが、世の常です。

 

桓武天皇は、「農民の負担を減らしたい」と思っていたのですが、それは実現しませんでした。

なぜなら、農民たちは平安京を建てたり、蝦夷たちを支配させるために東北地方へ行かされたりしたからです。

 

その結果、農民たちが疲れ果ててしまい、朝廷の力もだんだん弱くなってしまいます。

(中には、逃亡する農民も現れたのです)

 

そこで力を伸ばしたのが、貴族です。

貴族が朝廷の代わりに政治を行うようになったのです。

 

藤原氏の活躍編

貴族が政治を行うようになってから活躍したのが、藤原氏

娘を天皇のきさき(妻)にして、子どもを天皇にして、権力を握り続ける政治を行ったのです。

 

天皇が女性の場合や、幼い場合は摂政という役職について政治を行い、

天皇が大人になったら、関白という役職について、政治を行っていたのです。

この仕組みを、摂関政治と言います。

(コレ、重要ですよ!)

 

この時代に活躍した人物で忘れてはならないのが、藤原道長

彼は

この世をば、我が世とぞ思う 望月の 欠けたることも なしと思へば

という和歌を遺しています。

 

学校で習ったと思いますが、「この世はすべて自分の思い通りになる」という意味です。

(こんなことを考えていたのは、彼ぐらいなのではないでしょうか・・・)

 

その後、道長の息子である藤原頼道、父に習って摂政・関白の役職について、権力を握り続けたのです。

 

平安時代の文化でテストによく出るのは?

平安時代の文化を理解するには、初期を中期以降を分けて考える必要があります。

中学生,定期テスト,勉強法,社会,歴史,平安時代

【平安時代初期】

このころは、遣唐使についていって唐へと渡った最澄や空海らによって、これまでとは違った仏教が広められました。

比叡山に延暦寺を建てて、天台宗を開いた最澄

(覚え方)天さいを見てひえと思った。

 

高野山に金剛峯寺を建てて、真言宗を開いた空海

(覚え方)ここ真空状態だ。

※この2人の違いについては、バシバシ出題されます。

 

その後、唐が衰えたり、航海自体が危険だということで、菅原道真によって遣唐使が停止されました。

 

【平安時代中期】

これまで取り入れてきた唐の文化を参考にしつつ「日本人に合った文化を作り上げていこう」としたのです。

このときの文化を国風文化と言います。

 

(文字)

漢字をもとにつくられたひらがなやカタカナを使用するようになりました。

このような文字を、かな文字と言います。

 

【文学作品】

  • 竹取物語・・・「かぐや姫」の物語 作者不明

 

  • 源氏物語・・・イケメンの光源氏が、たくさんの女性に恋する物語

作者:紫式部

  • 枕草子・・・日常生活の中から感じたことを描いた物語

作者:清少納言

  • 土佐日記・・・女性のふりをして書いた日記

作者:紀貫之

 

【絵画】

日本の風景を描いた大和絵や、絵巻物である源氏物語絵巻も誕生した

 

【建築物】

この時代、貴族は広い屋敷に住んでおり、不自由のない生活を送っていた。

この屋敷は寝殿造と呼ばれています。

 

【着物】

貴族の男性・・・束帯

宮廷に仕える女性・・・十二単

 

中期から後期にかけて、武士が活動し始めたということもあり、少しずつ「自分がこの世を去った後」のことを考える人が増えてきました。

そこで、誰が言い出したのか分かりませんが「『南無阿弥陀仏』と唱えれば、だれもが亡くなった後に天国(極楽浄土)に行ける」という考えが一気に広まったのです。

この考えを「浄土信仰」と言います。

 

この考えに感銘を受けたのが、藤原頼道

このことがきっかけで、彼は平等院鳳凰堂を建てたのです。

この中には阿弥陀如来像が置かれています。

 

さらに、浄土信仰の教えは全国に広がり、平安時代に東北地方を支配していた奥州藤原氏が、中尊寺金色堂を岩手県の平泉に建設しました。

 

ここまでが、前半編です。

次回は、平安時代の後期のことをお伝えします。

【奈良時代の復習をしたい人はコチラ】

社会【歴史】のテスト勉強法 奈良時代の制度・暮らし・文化の特徴は?

【平安時代後半の重要ポイントをまとめた記事はコチラ】

社会のテスト勉強法【平安時代後半】武士の活躍ぶりは?

Pocket

中学生のお子さんがいる方、必読です

2021年の大学入試改革に備えて、今のうちから高めておきたい「思考力」
とはいえ、どうすれば身につけられるのかを具体的に紹介しているものを目にする機会は
滅多にありません。

・これまで嫌いだった勉強が「面白い」と感じられる
・定期テストでは、5教科最低400点を取れる
・高校受験で第一志望校に合格できる力が身につく
・社会で逞しく生き抜く力を育める

これらのことが現実となる「思考力」を高める方法を、以下のページでお伝えしています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です