社会のテスト勉強法【平安時代後半】武士の活躍ぶりを理解しよう

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前回は、「平安時代の前半編」ということで

  • 桓武天皇が行ったこと
  • 藤原氏の活躍
  • 平安時代の文化

この3つについて説明しました。

【前回の記事はコチラ】

社会のテスト勉強法【平安時代前半編】覚えるのはコレだけ!

 

今回は、いよいよ後半戦です。

平安時代後期のことを理解するうえで特に重要となるのが、「武士がどんな活躍をしたのか」ということです。

 

定期テスト前に勉強しておくべき内容はもちろんですが、少しでも理解を深めてもらうために「なぜ武士が誕生したのか」ということも説明します。

中学生の社会(歴史)の定期テスト勉強法【平安時代後半編】

武士の誕生

あなたは、どうして武士が誕生したのかを知っていますか?

各地方を監視していた国司が、「お金もうけをしたい」と思い、それによって規定よりもたくさん税を取り立てる者が現れたのです。

当時、国司は、決められている税を納めれば、あとは自分のものにすることが出来たため、このルールの隙をついて、悪知恵を働かせる者が出たのです。

 

そうなると、国司のことを信用できなくなります。

やがて「自分の身は自分で守らねば」と考えはじめた人が増え始め、武器を持って戦うようになりました。

このことが、武士が誕生した背景なのです。

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その後、武士たちはグループ(集団)を作るようになりました。

これを、武士団と言います。

 

それでは、武士の活動において、定期テストでよく出る内容を説明していきます。

 

武士の活動

まず、押さえておきたいのが、

935年 平将門の乱

940年 藤原純友の乱

この2つです。

 

まずは、平将門の乱から説明します。

平将門は、国司に攻撃を加えて関東地方を支配しました。

「自分がリーダーだ」ということを主張したかったのか、自分のことを「新皇」と名乗ったのです。

 

やがて、朝廷の組織にも攻撃を加えたため、朝廷側も動き出しました。

ですが、朝廷に送り込まれたメンバーが平将門のもとに到着する前に、武士である平貞盛たちが、平将門をやっつけたのです。

 

続いて、藤原純友の乱です。

もともと、伊予の国(愛媛県)の国司だった藤原純友は、任期が終わっても退こうとせず、それどころか海賊と手を組み、大宰府に攻撃を仕掛けました。

ところが、武士である源経基らによって取り押さえられました。

 

平将門の乱では平氏、藤原純友の乱では源氏が活躍したということもあって「武士は力を持っている」ということを示す結果となったのです。

 

武士が活躍したのは、この2つだけではありません。

1051年~1062年の「前九年の役」

1083年~1087年の「後三年の役」

この2つも忘れてはいけません。

とはいえ、この2つに関して詳しく説明している本は、本当に少ないです。

ですので、あなたが理解できるように詳しく説明します。

 

前九年の役(1051年~1062年)

東北地方の安倍氏が、国司の命令に一切従わず、自分の思うがままに振る舞っており、朝廷も頭を抱えていました。

そこで、朝廷は源頼義・義家「安倍氏を倒してほしい」とお願いしました。

結果的に、頼義たちは清原氏の力を借りることが出来たおかげで、勝利を収めました。

(もし清原氏を頼れなかったとしたら、どうなっていたか分かりません)

 

後三年の役(1083年~1087年)

前九年の役で活躍した清原氏でしたが、その後は相続争いなどを巡って、関係者同士でモメテしまうことに・・・

「何とかしなければ」と思った源義家が尽力し、解決にあたりました。

 

ところが、朝廷は源義家たちに一切お礼の品を渡さなかったのです。

「自分のことはともかく、協力してくれた仲間に申し訳がない」と感じた義家は、自腹を切って仲間に褒美(ほうび)を与えたのです。

(この時代において、そんなことをする人は本当に珍しいです)

 

院生の始まり

平安時代中期は、藤原氏が力を持っていたわけですが、いつまでも続かないのが世の常です。

藤原道長の息子である頼通には、娘がいたのですが、この娘は子どもを産まなかったのです。

これが、藤原氏の勢力が衰えた原因とも言われています。

 

1086年に、白河天皇は、息子に天皇の位を譲って、自らは上皇となって政治を行い続けました。

この仕組みを、院政と言います。

「院」とは、上皇の住まいのことを指します。

 

もしかすると、「天皇の位を譲った後に、政治に関わろうとするイヤな奴」と感じるかもしれません。

しかし、上皇には様々なメリットがあるのです。

 

まず、法律に従って政治を行わなくて良いのです。

この特権は、天皇にはありません。

また、事実上は「天皇のパパ」として振る舞うことが出来るため、基本的に誰も逆らうことが出来ません。

まさに「思うがまま」の世界です。

平安時代後期から鎌倉時代前期の間に、5人の上皇が院政を行いました。

 

平清盛の活躍

平安時代の後半で忘れてはならないのが、この人です。

平清盛にまつわることは、必ずと言って良いほどテストに出題されます。

ですので、しっかり理解した状態で、テストに臨んでください。

それでは、順番に見ていきましょう。

 

1156年、崇徳上皇と後白河天皇が対立しました。

(天皇VS上皇の争いだったわけですが、多くの人が巻き込まれました)

これを、保元の乱言います。

 

結果的に、後白河天皇が勝利を収めました。

 

1159年、今度は、保元の乱で勝利を収めた平清盛と源義朝が、争いを起こしました。

(源氏VS平氏の争いです)

これを、平治の乱と言います。

 

この戦いに勝利した平清盛は、1167年に武士として初めて太政大臣となり、政治を動かす立場になりました。

 

その後、兵庫県の大輪田泊(おおわだのとまり)を改築して、中国(宋)と貿易を行いました。

これを、日宋貿易います。

 

平安時代後期 まとめ

武士が関わった争いは重要なポイントですので、もう1度ここにまとめておきます。

935年 平将門の乱

940年 藤原純友の乱

1051年~1062年 前九年の役

1083年~1087年 後三年の役

1156年 保元の乱

1159年 平治の乱

 

この6つの争いと、

「院政」の仕組み

平清盛が関わったこと

このポイントを理解しておけば、定期テスト対策はバッチリです。

 

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