歴史の定期テスト勉強法【室町時代後半】応仁の乱+文化のポイントは?

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前回は、室町時代の前半部分の重要ポイントについて説明しました。

【前回の記事はコチラ】

社会の定期テスト勉強法【歴史・室町幕府の仕組み編】

 

今回は、応仁の乱のことや、室町時代の文化について説明します。

応仁の乱については、年号だけを覚えるのではなく、内容やその後の出来事についても理解しておくようにしましょう。

そうすることで、室町時代について理解が深まります。

社会(歴史)の定期テスト勉強法【室町時代Part2】

応仁の乱の原因は?

1467年に、「8代将軍足利義政の跡を誰が継ぐのか」ということがきっかけで対立関係ができあがってしまいました。

そこで起こった戦乱を、応仁の乱と言います。

ここからは「なぜ起こったのか」ということを掘り下げて説明していきますね。

 

もともと、足利義政には義視(よしみ)という弟がいました。

義政は「自分の跡を弟に継いでもらおう」と考えていたのです。

 

ですが、義政の妻である日野富子が、子どもを産みました。

息子の名前は義尚(よしひさ)です。

そこで、義政の妻(日野富子)は、「何とか息子に跡を継いでもらいたい」と考え始めたのです。

さらに、幕府の主導権を握ろうとしている細川勝元は義視を支持し、山名持豊は義尚を支持しました。

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このようなことがきっかけで多くの人が争いに巻き込まれてしまい、11年もの間、争いが続いたのです。

 

応仁の乱の後の世の中の様子

応仁の乱が起こったことによって明らかとなったのが「リーダー格の人たちがもめており、統率が取れていない」ということ

このことは「上の立場にのし上がれるチャンスが訪れた」ことを意味しています。

そこで、下の立場の人が上の立場へとのし上がっていく「下剋上」の風潮が広まっていきました。

次々と自分の領土を広げていった戦国大名が現れ始めたのも、このころです。

(中には守護大名だった人が、戦国大名になったケースもあります)

 

戦国大名の中には、城を建てて商工業を盛んにした城下町を築いたり、それぞれの土地の決まりである分国法を制定した人もいました。

  • 城下町の例:織田信長が安土城を築く
  • 分国法の例:武田信玄の喧嘩両成敗

 

室町時代の文化

  • 北山文化

→3代将軍足利義満の頃の文化であり、義満は金閣寺を建てました。

金閣寺
  • 東山文化

→8代将軍足利義政の頃の文化であり、義政は銀閣寺を建てました。

銀閣寺

部屋の中は書院造と言って、居間の中に書斎が設けられていました。

 

雪舟水墨画をを発達させ、「秋冬山水図」などを描きました。

 

観阿弥・世阿弥能(能楽)を発達させました。

能楽とは?

神を祭るための踊りと田植え踊りを組み合わせたものです。

能の間には、滑稽(こっけい)な演劇である狂言も演じられました。

 

民衆向けの読み物として、御伽草子も広まりました。

例えば、浦島太郎や一寸法師のことです。

 

また、上の句と下の句を別の人同士で作成する連歌も流行りました。

茶の湯生け花が広まったのも、このころです。

 

まとめ

2回に分けて、室町時代のことでテストに出やすいポイントをお伝えしました。

「文化」についても、テストで出題されることは多いです。

資料流を活用して、絵や図も理解しておきましょう。

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