社会のテスト勉強法【歴史・江戸時代②】鎖国の流れを理解しよう

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社会(歴史)の定期テスト範囲に江戸時代が入った場合、「勉強するのはメンドクセ―」と感じる生徒はたくさんいます。

前回の記事で、江戸時代初期のことでテストによく出る内容を解説したわけですが、それ以外にも、鎖国の仕組みや三大改革、さらには幕末の出来事など、テストによく出る重要な内容はまだまだあります。

とはいえ、一気に覚えてしまおうとすると、なかなか覚えられず、勉強するのが嫌になってきます。

ですので、この記事では回数を分けて重要な内容をお伝えしていくことにします。

 

今回は「鎖国編」です。

あなたは「鎖国」と聞いてどんなことをイメージしますか?

「外国の人たちと関わらないようにすること」という考えは間違っているわけではないのですが、鎖国体制を整えた後も外国との交流が続いていたのです。

このことまで理解しておくこと、江戸時代のことについての内容の理解が深まります。

 

それでは、定期テストで最低でも80点を取るために、理解しておくべきことを説明していきます。

 

社会のテスト勉強法【中学生・歴史】鎖国の仕組み編

朱印船貿易とは

江戸時代では、徳川家康が大名や商人たちに朱印状を与えました。

朱印状とは、海外に行くことを許可する証書であり、これを持った人が船に乗って東南アジアなどで貿易を行いました。

この貿易を、朱印船貿易と言います。

生糸や絹織物を輸入し、金・銀・刀などを輸出しました。

 

東南アジアに着いた日本人たちが考えることは「別にここに住んでもいいんじゃないだろうか」ということ

そのような人たち(日本人)が東南アジアで暮らすようになり、日本町ができました。

 

鎖国の流れ

日本国内ではポルトガル人やスペイン人、さらにはイギリス人やオランダ人とも貿易を行っていました。

ヨーロッパに住む人々と関わりを持つことによって、キリスト教徒がどんどん増えてきたのです。

なぜなら、日本人に「キリスト教徒にならないか」と勧めてきたからです。

 

キリスト教徒が日本に増えると、幕府としては困ったことになるのです。

それは、なぜでしょうか?

少し考えてみてください。

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日本国民がイエス・キリストの教えに従い始めると、幕府の言うことを聞かなくなってしまうのです。

なぜなら「神は幕府より上だ」と考え始めるからです。

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そこで幕府は、1612年に禁教令(キリスト教の禁止令)を出し、キリスト教徒や宣教師を日本から追い出し始めました。

1635年には、日本人が海外に行くことや、帰国することを禁じました。

そのせいで、海外に住む日本人は帰ってこれなくなりました。

(もし自分がこんな目に遭ってしまったら、どうなってしまうのでしょう。考えるだけで恐ろしいです。)

 

島原・天草一揆(1637年)とその後の出来事

長崎県の島原、熊本県の天草という町には、もともとキリスト教徒が多かったのです。

なぜなら、この2つの町を支配していたのは、キリシタン大名だったからです。

ですが、新たにやってきた支配者が

  • キリスト教徒であることをやめさせようとする
  • 税金をたくさん取ろうとする

このことを、力ずくで進めようとしました。

 

「そうはさせるか」と一致団結したキリスト教徒たち

そこで、天草四郎が中心となって幕府に反発した出来事を島原・天草一揆と言います。

 

結果的に幕府によって一揆を取り押さえられてしまったのですが、幕府側は「キリスト教徒たちが力を合わせると大変なことになる」ということに気づかされたのです。

なぜなら、幕府側は10万人以上も動員したにもかかわらず、島原・天草地方のキリスト教徒たちの人数は4万人にも満たなかったにもかかわらず、戦いが長引いたのです。

そこで幕府は、これまで以上にキリスト教の禁止を強化するために、絵踏(えふみ)を実施しました。

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絵にはイエス・キリストの姿や十字架が描かれており、踏まなかった人はキリスト教徒だと見なされ、罰を与えられました。

  • 絵踏・・・絵を踏む(踏ませる)こと
  • 踏絵・・・踏まれる絵のこと

さらに、人々が必ずどこかの寺に属さなければならなくなり、どこに属しているのかを宗門改帳に記録されました。

 

1639年には、ポルトガル船が日本にやってくることを禁止しました。

1641年には、もともと長崎県の平戸に置かれていたオランダ商館(オランダ人と商品の取引を行なう場所)を、出島移しました。

なぜなら、平戸にはイエス・キリストに関するものが置かれていたからです。

 

これで、ようやく日本の鎖国体制ができあがったのです。

 

海外との交流(貿易)

とはいえ、海外との交流を完全にストップしたわけではありません。

ここからは、どの国が、日本のどの地域と貿易を行っていたのかを説明していきます。

 

【オランダ】

オランダは、長崎の出島で貿易を行っており、オランダの情報を記したオランダ風説書を幕府に提出していました。

オランダ商館のリーダーが、わざわざ江戸に挨拶に行っていたのです。

 

【中国】

中国は、長崎の唐人屋敷で貿易を行っていました。

オランダと違い、誰かが江戸に向かうということはありませんでした。

 

【朝鮮】

豊臣秀吉の朝鮮侵略のせいで、一時は不信感を抱かれていたのですが、江戸時代からは対馬藩の宗氏が間に入って貿易を行うようになりました。

将軍が変わるごとに朝鮮通信使(朝鮮の情報を伝える人)が幕府を訪問していました。

メンバーは、500人ぐらいはいたと言われています。(メッチャ多いですね。)

 

【中国】

中国のものが琉球王国に送られ、それが薩摩藩に渡る体制が整っていました。

当時、琉球王国は「外国」だと見なされていました。

 

【蝦夷地】

この地で暮らしていたアイヌの人々と松前藩(現在の北海道の一部)が交易を行っていたものの、アイヌの人たちにとっては明らかに不利な条件で取引を行なっていました。

そこで、シャクシャインがリーダーとなり松前藩と戦ったのですが、負けてしまいました。

 

今回は、ここまでです。

次回は、江戸時代の産業や交通にまつわることについて説明します。

江戸時代の産業・交通の重要ポイントは?

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