歴史のテスト勉強法【江戸時代④】綱吉~松平定信の取り組みは?

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前回は、江戸時代の勉強をする時に、意外と手を抜いてしまいやすい「産業・交通の発達」について説明しました。

【前回の記事】

江戸時代の産業・交通の発達の歴史

 

今回は、「この人の名前と改革(取り組み)については、絶対に理解しておかないといけない」というレベルのものが目白押しです。

  • 徳川綱吉
  • 新井白石
  • 徳川吉宗
  • 田沼意次
  • 松平定信

この人たちが、一体どのようなことに取り組んだのが

結果的にどうなったのか

この2点を意識しながら記事を読んでいくと、1つ1つの出来事にはつながりがあることが理解できるため、覚えやすくなります。

 

それでは、この5人の改革や取り組みを、1つずつ説明していきます。

 

中学生の社会(歴史)のテスト勉強法【江戸時代の重要人物5人の取り組み】

徳川綱吉の政治

徳川綱吉が行ったことでとても有名なのが、生類憐みの令

これによって、動物の命を奪う行為は禁止され、破ったものは処罰されました。

特に「犬」に対する愛情は尋常ではなく、周囲から「犬公方」なんて呼ばれていました。

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たしかに、この取り組みに関して「何でこんなわけのわからんことをするのだろう」と考える人も多いのです。

ですが、基本的には「すべての命を大切にしましょう」という考えをもとに定められたものであり、綱吉自身は「皆を苦しめてやろう」と思っていたわけではないのです。

 

とはいえ、何事においても度が過ぎてしまうと、周囲から嫌がられてしまいますね・・・。

 

生類憐みの令以外で綱吉が行った重要な事柄は、朱子学の奨励

これは、上下関係を重視する教えであり、江戸幕府の体制にピッタリだったのです。

 

もう1つ忘れてはならないのが、貨幣の質を落としてしまったこと

どういうことかと言いますと、金や銀をいったん回収して、金や銀の量を半分にした貨幣を発行したのです。

そのせいで、

貨幣が世の中にあふれてしまう

→人々がたくさん買い物をする

→商人たちは物価モノの値段)を上げる

→人々の生活が余計に苦しくなる

ということになってしまいました。

 

新井白石の政治

6代将軍の家宣と、その息子である7代将軍である家継を支えた新井白石

彼が真っ先に取り組んだのは、生類憐みの令を廃止すること

やはり、この令に対して不満を持っていた人が多かったのです。

 

このほかにも、貨幣の質をもとに戻したり、金銀の海外流出をストップするために長崎貿易を制限したりしました。

よくよく考えてみると、徳川綱吉が行ったことで世の中が混乱した状況を、新井白石が何とか立て直したわけです。

ですので、「綱吉の尻ぬぐいをした人」と言えます。

 

7代将軍家継がわずか8歳という年齢でこの世を去ることになってしまい、それによって白石も幕府の政治から退くことになりました。

 

幕府の財政が苦しい状況は、相変わらず続いていました。

そこで、立て直しに尽力したのが、この後に紹介する人たちです。

 

享保の改革(徳川吉宗の政治)

江戸幕府の8代将軍である徳川吉宗が行った改革を、享保の改革と言います。

これは三大改革の1つであり、定期テストであろうが入試であろうが、とにかくよく出題されます。

では、具体的にどんなことを行ったのか、順番に見ていきましょう。

 

  • 武士に質素・倹約をすすめる

当時、武士たちがたくさんお金を使っており、中には派手な生活をしていた者もいたのです。

その状況を改善するために、吉宗自身も率先して質素な生活をしたのです。

 

  • 上米(あげまい)の制

これは、大名に対して参勤交代の期間を1年から半年にする代わりに、1万石につき100石を幕府に納めさせたのです。

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  • 目安箱の設置

人々の意見を聞くために、要望を書いた紙を入れるための箱を用意しました。

・名前をきちんと書かないといけない

・読むのは吉宗のみ

といったルールがありました。

(もしあなたがこの時代に生きていたら、意見を提出しますか?)

 

民衆の意見を実際に取り入れた例として、小石川養生所の設置があります。

これは、貧しい暮らしをしている人でも無料で診察してもらえる病院です。

 

  • 公事方御定書の制定

これは、裁判の基準を示したもので、これによって罰則のルールがある程度明確になりました。

 

このほかにも、農民たちから年貢を安定して徴収することも行いました。

それによって農民たちが不満を抱き、さらに享保のききんが起きたことで生活が苦しくなり、百姓一揆打ちこわしが行われました。

※百姓一揆と打ちこわしの違い

百姓一揆

→農民たちが農村で、年貢量を減らしたり、不正を働く役人の交代を求めて、農村で起こしたもの

打ちこわし

→都市の人々が都市で、コメの値段を下げてもらうことを求めて、都市の商人らを襲ったもの

 

田沼意次の政治

吉宗が亡くなった後、9代将軍の家重・10代将軍家治のサポートをしていたのが、田沼意次

老中にまで上りつめた人である、大出世を果たしたと言っても良いでしょう。

 

では、そんな意次は、どのようなことを実施したのでしょうか?

  • 株仲間の奨励

株仲間と言うのは、幕府に税を納める代わりに商売する権利を与えられた同業者組合のことです。

これによって

・幕府にお金が入ってくる

・株仲間に加入すれば、商品を売ることが出来て儲けられる

というように、幕府にとっても商人にとってもメリットがあったのです。

 

ですが、中には税金以外のお金を納める者もいて、意次はそれを受け取っていたのです。

いわば「わいろ」です。

そのせいで、意次に対する印象は悪くなってしまいました。

さらに、浅間山の噴火や天明のききんが起きたときに、「意次だけが良い思いをしていてズルい」と考え始める人が増えてしまったのです。

 

寛政の改革(松平定信の政治)

田沼意次が老中を退いだ後に、老中になった松平定信

当時の将軍は徳川家斉(第11代)でしたが、まだ10代だったのです。

そのため、サポートする人がどうしても必要となり、定信が選ばれたのです。

 

おそらく、定信に対して「質素・倹約」のイメージがあると思います。

では、具体的にどんなことをしたのでしょうか?

1つずつ見ていきましょう。

 

  • 囲い米

これは、ききんなどに備えて米を蓄えておくことです。

ですが、たくわえを持てるほど農民たちに余裕がありません。

もし、本当に蓄えようと思ったら、「食べない」という方法をとるしかありません。

 

  • 旧里帰農令

農村を捨てて江戸にやってきて生活をしている農民に対して、「故郷に戻りなさい」と指示しました。

ですが、一度農村を捨てて江戸に来ている以上、帰る場所はないですし、迎えてくれる人もいません。

 

  • 棄捐令

旗本・御家人の借金を帳消しにしました。

その結果、旗本や御家人にお金を貸してくれる人がいなくなりました。

 

  • 寛政異学の禁

朱子学以外の学問を禁止しました。

そのせいで、文化が発展しなくなりました。

 

定信の改革は、一言で言えば「厳しすぎた」と言えます。

次第に、人々が「何だか息苦しいな」と感じるようになり、しまいには「田沼の頃がなつかしい」なんて言い出す人もいたのです。

改革をスタートさせてからわずか6年で老中を辞めさせられてしまいました。

 

今回は、ここまでです。

次回は、江戸時代の文化について説明します。

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