富島高校野球部監督 濵田登の経歴や3つの熱血エピソードとは?

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富島高校は創立102年と長い歴史を持つ学校ですが、この高校の野球部を甲子園に導いたのが濵田登監督です。とても熱血な方であり、だからこそ甲子園出場という偉業を成し遂げられたのだと思います。そこで今回は、濵田登監督の経歴や熱血エピソードをご紹介します。
 

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富島高校野球部監督 濵田登の経歴

まずはじめに、濵田登監督の経歴やプロフィールからお伝えします。

名前:はまだ のぼる

生年月日:1967年12月18日生まれ

年齢:50歳

出身地:宮崎県

出身高校:宮崎商業高校

出身大学:九州国際大学

担当科目:商業科
 


 
右側に映っているのが、濵田登監督です。

大学卒業後は

●都農高校

●宮崎商業高校

の監督を務めました。

 

宮崎商業の監督を務めていた2008年に、甲子園出場を果たしています。

このとき、39年ぶりの出場でした。

当時のエースは、ヤクルトにドラフト1位で入団した赤川克紀投手
 


 
チームは初戦突破を果たしました。

2013年から、富島高校に赴任しそのまま野球部監督となりました。

ここから先は、富島高校の監督になってからの熱血エピソードをご紹介します。
 

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富島高校野球部監督 濵田登の熱血エピソード

その1

最初のエピソードは、入学式の日に行なわれた教職員による歓迎会での出来事です。

この場で、濵田監督は

●3年で九州大会出場、4年で甲子園出場

を宣言したのです。

「赴任早々」での発言に周囲は失笑・・・

それでもグッと堪えるしかありませんでした。

 

というのも、濵田監督が赴任したときの部員は2年生5人で1年生が6人

もし1年生が入部していなければ「廃部」になっていてもおかしくない状況だったのです。

さらに、赴任前の2010年~2012年の3年間、夏の大会で勝てていなかったのです。

そんな状況だったにも関わらず、チームを甲子園に導いたのです。

 

その2

2つ目は、野球部保護者会でのエピソードです。

保護者位に対して

「たとえ部員が少なかろうと一切手は抜かない!」

と宣言しました。

 

このエピソードを聞いて思い出したのが、帝京高校の前田三夫監督です。

前田監督が就任したばかりの頃、部員はたったの4人でした。

そこから「強豪校」を築いたわけですから、たいしたものです。
 


 
「人数が少なくても、手を抜かない」

これが、熱血監督たるゆえんです。

 

その3

3つ目は、チームのエースを務める黒木将胤投手が濵田監督の話を聞いて富島高校を選んだことです。

富島高校は創立して102年と長いのですが、その歴史に新たな1ページを刻み込んだエースの心を揺さぶる話が出来るという事は、それだけ「熱い」監督だと言えます。

※ちなみに、黒木将胤選手のことをロッテで活躍した宮崎県出身の黒木知宏投手にちなんで「ジョニー2世」と紹介されてしますが、親子ではありません。

 

それはともかく、春は投手の仕上がりによって勝敗が左右されるだけに、黒木の活躍はチームの勝利に必要不可欠です。

九州大会準優勝に導いたピッチングを、甲子園でも披露できるのか注目です。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
 

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