福浦和也の若い頃の貴重映像を公開!2000本安打まで残り何本?(日々更新中)

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プロ野球選手の中で、多くのファンから愛されている選手と言えば福浦和也選手の名前をあげないわけにはいきません。2000本安打達成の期待がかかりますが、残りは何本なのでしょうか?今回は、この情報はもちろん、若い頃のエピソードや映像、さらにプロ入り後の偉業についてもお伝えしていきます。
 

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福浦和也のプロフィール

名前:ふくうら かずや

生年月日:1975年12月14日

年齢:42歳

身長:183㎝

体重:88キロ

出身地:千葉県習志野市

出身中学:習志野市立第二中学校

出身高校:習志野高校
 


 

中学時代のエピソード

中学時代に最初に入部したのは、野球部ではなくバスケットボール部でした。

この事実には、さすがに驚きました。

ということは、中学生の頃は「プロ野球選手になりたい」とは考えていなかったのでしょう。

ですが、半年後にバスケ部を退部して野球部に入りなおしました。

すると、1年後にはエースとなり3年春の市大会で優勝しました。

よほど、野球センスが抜群だったことが分かります。

 

高校時代のエピソード(若い頃の映像アリ)

高校時代はエースで4番を務め、練習試合ではノーヒット・ノーランも達成したことがあります。

念願だった甲子園出場とはなりませんでした。

こちらが、福浦選手の若い頃(高校時代)の映像です。

これは、千葉県大会の準々決勝の試合の映像です。

若い頃は、現在と比べると線が細い印象です。

プロ入りしてから、相当トレーニングを積んだのでしょう。

 

習志野高校と言えば、高校野球の応援が迫力満点であることで有名な学校です。

「レッツゴー習志野」の応援は、福浦選手が高校時代の時もありました。

習志野高校にとっては伝統的な応援なのでしょう。

高校卒業後(1993年)にドラフト7位でロッテに入団しました。
 

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プロ入り後の偉業

福浦選手の活躍を語るうえで最も外せないのが、2001年の出来事です。

1994年にプロ1年目を迎えているわけですから、8年目です。

この年に、首位打者を獲得しました。

当時の首位打者候補だったのが、現在中日で2軍監督を務める小笠原道大でした。

当時、小笠原選手は日本ハムの選手だったことを考えると、時代の流れを感じますね。

 

この年の2人の打率ですが

福浦:.346

小笠原:.339

という結果でした。

福浦選手は「まさか自分が首位打者になるなんて思ってもみなかった」とコメントしていました。

 

福浦選手はこの年から2006年まで、6年連続で打率3割を記録しました。

この期間においてもう1つ忘れられないのが、2005年の出来事です。

阪神との日本シリーズで満塁ホームランを放ちました。
 


 
甲子園が舞台でしたが、ロッテファンから大歓声があがりました。

 

満塁ホームランといえば、2010年のことも忘れてはいけません。

セ・パ交流戦(横浜戦)で放った3号ホームランは、代打逆転満塁ホームランでした。
 


 
しかも、このホームランを一度「ファール」と判定されたものの、ビデオ判定によりホームランとなったのです。

ですので

「代打逆転満塁ビデオ判定弾」

となったわけです。

プロ入りしてから今年で24年目を迎えており、振り返ってみるとたくさん活躍していることが分かります。

 

2000本安打まで残り何本なのか?

やはり気になるのが、こちらですね。

今年で達成する可能性があり、日に日に注目度が高まっています。

井口監督は「マリンスタジアムで達成してもらいたい」と語っていました。

 

5月10日時点で、残り25本となりました。

2000本安打までのカウントダウンを、日々更新していきます。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
 

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