斎藤智也の息子の名前は?兄弟ともに甲子園出場経験のある実力者だった!

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「福島県の高校野球の監督」といえば、聖光学院の斎藤智也監督が真っ先に思い浮かびます。斎藤監督には息子が2人いて、ともに甲子園に出場した実力のある選手だったのです。今回は、斎藤監督の息子の名前や、どのような選手だったのかについてお伝えします。
 

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斎藤智也監督の息子の名前や実績

長男:寛生君

斎藤監督の長男である斎藤寛生君は、2009年夏に甲子園に出場しました。

ですので、年齢は2018年に27歳となります。

高校時代はケガに苦しむ時期もありましたが、2年秋からレギュラーとなり副主将も務めました。

監督だけでなくチームメイトからも信頼されていたのでしょう。

3年夏の甲子園(PL学園戦)では9回2アウトの場面で打席が回り、打球はセカンドの前に転がり全力でヘッドスライディングをしたのですが、惜しくも間に合わずに最後の打者となってしまいました。

試合後は「監督に恩返しがしたかった」とコメントしていました。

大学は仙台大学に進み、レギュラーとして活躍しました。

現在は東邦銀行の野球部に所属しています。

 

次男:英哉君

次男の英哉君は、甲子園で大活躍した選手なのです。

生年月日は1992年12月18日で、兄と1つ違いです。

監督である父からは

「高校で野球をするなら県外に行け」

「人の2倍結果を出さなければレギュラーとして使わない」

と厳しいことを言われ続けました。

監督しても、息子がチームに加入するとなればやりにくい部分はあったはずです。

息子が2人となれば、なおさらです。

 

英哉君は兄の敗戦を目の前で見ており「絶対に甲子園で勝利を収める」と誓い、努力を続けました。

その成果が現れたのは、甲子園での履正社戦

同点で迎えた8回に、勝ち越しホームランを放ちました。
 


 
このときばかりは、父親も感極まったでしょう。

最高の親孝行を、甲子園で実現させたのは見事です。

実は、福嶋代表の高校が大阪代表の高校に勝利を収めたのは、この時が初めてだったのです。

大学は神奈川工科大学に進学し、現在は福島信用金庫に勤めています。
 

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斎藤智也監督の経歴やプロフィール

名前:さいとうともや

生年月日:1963年6月1日

年齢:55歳

出身地:福島県福島市

出身高校:福島高校

出身大学:仙台大学

担当科目:保健体育

甲子園出場回数:春5回・夏14回
 


 
普段はなかなか見ることができない斎藤智也監督の「スマイル」です。

聖光学院野球部の指導に関わったのは1987年からであり、当時は「野球部長」という立場でした。

監督となったのは1999年であり、およそ12年ほど部長を務めたことになります。

斎藤監督としても「一体いつになったら監督になれるのか・・・」と悶々としていたでしょう。

 

監督就任時の約束とは?

監督になるにあたって、聖光学院側とこのような約束を取り交わしました。

それは「3年以内に甲子園に出場できなければクビ」というものです。

実は、この約束を学校側と取り交わしたためにプレッシャーを感じ、挙句の果てには不祥事を起こした監督も過去にはいるのです。

斎藤智也監督も半端じゃないレベルのプレッシャーを感じたはずです。

下手をすれば、野球部監督ところか聖光学院の教員を辞めることにつながりかねない内容です。

ですが、斎藤監督はそのプレッシャーを跳ねのけて、2001年に聖光学院を甲子園初出場に導きました。

 

甲子園初出場を決めたドラマティックな試合(映像アリ)

初出場をかけた決勝戦は、ドラマティックな展開でした。

●1点差で負けていた9回裏に同点に追いついて延長戦に持ち込む

●11回表に4点を取られて「万事休す」と誰もが思った

●しかし、11回裏に5点を奪いサヨナラ勝ちを決める

こちらが、その試合の映像です。

1アウト1・2塁でバッターがピッチャーゴロを打ってしまったのですが、ピッチャーからの送球をセカンドが落球するシーンもありました。

大逆転につながる時は、えてしてこういうことが起こるものです。

斎藤監督は、甲子園出場を決めた喜びと「クビにならずに済む」という安堵感を両方感じていたでしょう。

甲子園で味わった挫折

勢いに乗って甲子園に乗り込んだ聖光学院でしたが、初戦で明豊高校(大分県)0-20の大敗を喫してしまいました。

斎藤監督は当時のことについて

●甲子園のバッティング練習で、ベンチ外の選手が投げたもののファウルしか打てない

と言う状況だったと語ってしました。

知らず知らずのうちに、選手たちも緊張してしまい力が入っていたのでしょう。

 

ですが、この敗戦が「強豪校」に生まれ変わるきっかけとなりました。

3年後(2004年)に甲子園に戻ってきたとき、チームは2つ勝って3回戦まで駒を進めました。

実は、前年(2003年)まで福島県勢は夏の甲子園大会で初戦敗退が9年続いていたのですが、それを食い止めたのです。

その後は

●2008年夏に、福島県勢で33年ぶりに甲子園ベスト8入り

●福島県での公式戦の連勝記録を95に伸ばす

●2007年から2017年まで、夏の甲子園に11年連続で出場

●2017年秋季東北大会で、チーム初の優勝に導く

という金字塔を打ち立ててきました。

もやは「福島県のヒーロー」といっても過言ではないほどの実績を積み上げています。

 

2018年の聖光学院の攻撃力は「史上最強」と呼び声が高く、斎藤監督も大いに期待を寄せています。

予選や甲子園でどのような戦いを見せてくれるのか注目です。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
 

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