東拓司(白山高校野球部監督)の経歴は?野球部長の女性は美人教師だった!

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各地区で甲子園出場校が続々と決まっていますが、最も下克上を起こしたのは三重県の白山高校です。かつては10年連続初戦敗退という状況でしたが、どのようにしてチームが生まれ変わったのでしょうか?今回は、白山高校野球部を率いる東拓司監督や女性の野球部長、さらには白山高校がどんな場所にあるのかについてもお伝えします。
 

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白山高校野球部(三重県)の2018年夏の戦績

●1回戦:白山10―3四日市南

●2回戦:白山11―3上野

●3回戦:白山4―3菰野

●準々決勝:白山4―3暁

●準決勝:白山6―5海星

●決勝:白山8―2松阪商
 
野球部ができたのは1960年であり、およそ60年近くの歴史があります。

ですが、2007年から2016年まで「10年連続夏の大会初戦敗退」という暗黒時代を経験しました。
 


 
2013年秋と2014年春には部員が足らず、連合チームで試合に出場したこともありました。

このような辛い時期を乗り越え、見事に甲子園出場を果たしました。

次は、白山高校野球部監督を率いる東拓司監督の経歴やチーム浮上のきっかけをお伝えします。

 

東拓司監督(白山高校野球部)の経歴やチーム浮上のきっかけ

名前:ひがしたくし

生まれ:1977年

年齢:41歳

出身地:三重県松阪市

出身高校:久居高校

出身大学:大阪体育大学

【指導者としての経歴】

●上野高校野球部監督

●白山高校野球部監督(2013年~)
 


 
東拓司監督は大阪体育大学の卒業生であり、現在巨人で活躍している上原浩治投手と一緒にプレーしました。

三重県立上野高校監督時代には、チームをベスト4に導いた経験があります。

 

白山高校に赴任して野球部に関わった時の環境は

●部員が4人しかいない

●生徒が「どうせコールドで負ける」と諦めている

●グラウンドは草だらけ

といった状態で、まともに野球ができる環境ではありませんでした。

東拓司監督は赴任した直後「正直ヘコんだ」と語っていました。

 

そんな環境にもめげることなく、ブルペンやマウンドを自ら作成したり、中学校のあいさつ回りに奔走しました。

東監督の努力もあって、以前であれば相手チームから「楽に勝てる」と思われていたチームだったにも関わらず、最近では本気で甲子園を目指す選手が集まるようになってきました。

全校生徒は300人ほどですが、そのうち野球部員が56名もいるのです。

 

白山高校は夏の大会こそ負け続けていたのですが、2017年秋と2018年春は、三重大会ベスト8に駒を進めていました。

秋・春と結果を残したことで、東拓司監督は壮行会で「甲子園を目指す」と宣言すると、周囲から拍手が沸き起こったのです。

冬場は1日1000スイングと強豪私学並みの練習を行ない、その成果が「甲子園出場」という結果につながりました。

 

東拓司監督は初戦を迎えるにあたって

「全力で取り組めば、観客も応援してくれると思う。もっと雰囲気を上げていきたい」

と意気込んでいました。

初戦の愛工大名電相手にどのような戦いを繰り広げるのか、見逃せません。
 

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白山高校があるのはどんな場所?

甲子園に出場したことで注目を浴びている白山高校ですが、一体どんな場所にあるのでしょうか?

白山高校の所在地は「三重県津市白山町南家城678」であり、詳しく調べてみると

●三重県津市の中心部から車で約30分

●電車は2時間に1本

●コンビニは町に1つしかない

●人口はおよそ1万人のとても小さな町

ということが分かりました。
 


 
地元の人たちは

●まさか甲子園に出場するとは思わなかった

●甲子園出場を決めたときは涙が出た

と語っていました。

冬場は郵便局のアルバイトに勤しみ、応援の気持ちが込められた60万円が贈られました。

どの学校よりも、地元の人から熱い応援を受けている学校です。

「白山旋風」を甲子園でも巻き起こしてもらいたいです。
 

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白山高校野球部長の川本牧子さんはどんな人?

野球部長を務めるのは家庭科教諭の川本牧子さん(40)です。
 


 
父親が少年野球の監督をしていたことがきっかけで、野球を始めました。

●中学では野球部に入れずソフトボール部に入部

●高校では野球部のマネージャをするつもりでいたのに「女子マネージャーはとっていない」と言われてあえなく断念

「男に生まれたかった」と何度も思ったようです。

 

教員になった後は、いなべ総合ソフト部顧問を務めたあと、野球部顧問を務めました。

その後、転勤先の名張西・白山で野球部長を務めました。

 

部員たちは「先生を甲子園に連れて行きます」と宣言し、それが現実のものとなりました。

甲子園で素振りをしたことで注意を受けてしまいましたが「部長」という肩書がついている以上、選手たちを円滑に誘導する役目を担っているわけですから、グラウンドに立っても何の問題もないと思います。

東拓司監督や選手たちも「川本先生を甲子園のグラウンドに立ってもらいたかった」と思っていたはずです。

高野連にはもう少し「柔軟性」を持って動いてもらいたいものです。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
 

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