我喜屋優監督(興南高校野球部)は北海道で誕生した名監督の師匠だった!

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沖縄県の興南高校は2年連続12回目の甲子園出場を決めました。8年前(2010年)に春夏連覇を達成したことを覚えている方も多いでしょう。監督である我喜屋優さんは北海道で暮らしていた時期もあるのです。今回は、我喜屋優監督の経歴やチームの注目ポイント、さらには我喜屋監督の指導がきっかけで花開いた監督のことなどをお伝えします。
 

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興南高校野球部の2018年夏の戦績や注目ポイント

●2回戦:興南4―0豊見城南

●3回戦:興南3―1八重山

●4回戦:興南7―0首里東

●準々決勝:興南4―3那覇

●準決勝:興南7―2嘉手納

●決勝:興南5―0糸満

昨年(2017年)は甲子園に出場するものの1回戦敗退と言う悔しい結果に終わりました。

2018年は昨年甲子園で先発した宮城大弥(2年)や、エースの藤木琉悠(3年)といった投手陣が整備されており、上位進出が見込めるチームです。

再び沖縄旋風を巻き起こせるかどうかは、投手陣にかかっています。

2人がどのようなピッチングを披露するのか、注目です。
 

我喜屋優監督(興南高校野球部)の経歴

名前:がきやまさる

生年月日:1950年6月23日

年齢:68歳(2018年7月時点)

出身地:沖縄

出身高校:興南高校

出身企業大昭和製紙富士(静岡県)

入社4年目で大昭和製紙北海道に移籍

高校卒業後も、社会人チームで活躍しました。

 

【指導者としての経歴】

大昭和北海道野球部監督

クラブチーム・ヴィガしらおいの監督

興南高校野球部監督(2007年~)
 


 
学生時代から運動能力に優れており、中学時代は野球部が無かったため陸上部に入り、棒高跳びで県の中学記録を塗り替えたのです。

そのため、高校では陸上部としての推薦を受けて興南高校に入学したのですが、野球への思いを捨てきれなかったため、野球部に入りなおしました。

(陸上部の監督からは、相当怒られたのは言うまでもありません)

とはいえ、野球部でもメキメキと頭角を現し3年夏に「4番センター&キャプテン」として甲子園出場を果たし、チームをベスト4に導きました。

社会人になってからも、チームを北海道勢で初の都市対抗優勝に導くなど、選手としても活躍していた監督です。

 

2007年に母校である興南高校野球部監督に就任し、3年後の2010年には春夏連覇を成し遂げました。

第100回大会という記念大会に出場するにあたり、我喜屋優監督は

「50年前の出場で沖縄の高校野球がベスト4となる節目の大会となった」

「それから50年たち、100回目の記念大会で沖縄旋風を起こして県民と感動を分かち合いたい」

「どこのチームよりも甲子園に行きたいという気持ちは負けないと感じていたが、達成した瞬間に力が抜けた。今は甲子園に向けて気を引き締めている」

と意気込みを語っていました。

果たして、今年はどこまで勝ち上がることが出来るのか、注目です。
 

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我喜屋優監督に教えを請うた北海道の名監督とは?

我喜屋監督は「沖縄の人」というイメージが強く、北海道で暮らした時期が長かったのには驚きました。

そんな我喜屋監督から指導をうけて「名将」へと上り詰めた監督がいるのです。

その人物とは、駒大苫小牧を夏2連覇に導いた香田誉士史監督

我喜屋監督から「雪国のチームが全国で勝つ」ノウハウを引き継ぎ、見事に実現しました。
 


 
ちなみに、香田監督はもともと佐賀県で暮らしていた方で、現在は福岡に本社がある西部ガスで監督を務めています。

我喜屋監督も香田監督も「九州と北海道にゆかりがある」という共通点を持っているのは、何という偶然でしょうか?

いつの日か高校野球の監督に復帰し、かつての師弟対決を甲子園で見てみたいです。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
 

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