小倉全由監督と小倉優子は親戚!日大三史上最も男気溢れる人物(OB)は?

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西東京大会を制した日大三高が5年ぶりに夏の甲子園に出場します。前回出場したのが5年前だというのが意外でした。今回は、小倉全由監督の経歴や、かつて監督解任された理由、そして小倉優子さんとのつながりや、日大三野球部メンバーで最も男気溢れる選手のことなどをご紹介します。
 

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小倉全由監督(日大三高監督)の経歴

名前:おぐらまさよし

生年月日:1957年4月10日

年齢:61歳

出身地:千葉県

出身高校:日大三高校

出身大学:日本大学

 

【指導者としての経歴】

卒業後は、日大三高のコーチを務める

1980年~:関東第一高校野球部コーチ

1981年~:関東第一高校野球部監督

(1989年~1992年に指導現場から離れるも、1992年12月に復帰)

※理由は後述

1997年~:日大三高野球部監督
 


 
高校時代はレギュラーになることが出来ず、大学では野球部に入部しませんでした。

それでも「指導者になりたい」という想いを持ち続けており、大学を卒業すると指導者の道を歩みました。

監督に就任後、1985年夏・1986年春・1987年春に甲子園に出場しました。

1987年春は、チームを甲子園準優勝に導きました。

 

辞任に追い込まれた真相は?

しかし、2年後の1989年に辞任に追い込まれてしまったのです。

表向きは「成績不振による辞任」となってしますが、実際は校長先生に対してあらぬ噂を吹き込んだ人がいたせいで「クビ」同然の形で辞めさせられたのです。

その噂とは

「お金を使い込んだ」

というものです。(もちろん、事実ではありません)

当時、小倉監督は

「何も悪いことをしてないのに針のむしろのような生活だった」

と語っていました。

ですが、理解ある学校関係者がいたのも事実であり、1992年に監督に復帰しました。

 

日大三の監督を務めてからは、2001年夏・2011年夏に甲子園優勝を飾りました。

そして、2018年夏は5年ぶりに夏の甲子園に出場します。

過去4年間は

●日大鶴ヶ丘

●早稲田実業

●八王子

●東海大菅生

が夏の甲子園に出場しており、出場校が毎年変わっていることからも西東京大会がいかに「激戦区」であるかを物語っています。

ここから再び、日大三が「黄金時代」を築いていくのでしょうか?

 

小倉全由監督と小倉優子は親戚だった!

小倉全由監督のことについて調べてみると「小倉優子」さんが出てくるので「ん!どういうことだ?」と思いました。

気になって調べてみると、どうやら2人は親戚であることが判明しました。

とはいえ、小倉監督の旧姓は「斉藤」ですので、小倉監督の奥さんが小倉優子さんとつながりがあるのでしょう。

実は、小倉優子さんは阪神で監督を務めたこともある中村勝広さんとも親戚であり、野球関係者とつながりがあるのです。

昨年(2017年)、小倉優子さんは清宮幸太郎選手を生観戦し、その試合で清宮選手はホームランを放ちました。
 


 
ということは、野球に興味があるのでしょう。

今後、機会があれば「小倉全由監&小倉優子」の対談を見てみたいです。
 

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日大三史上最も男気溢れる人物(OB)は?

これまで多くのOBを世に送り出してきた日大三野球部ですが、その中で最も男気溢れる選手は誰なのでしょうか?

それは、この人です。
 


 
2011年の優勝時のキャプテンを務めた畔上翔選手です。

高校時代は選手インタビューで

「小倉監督の野球が正しいことを証明するために優勝したい」

と言い続け、見事に実現させました。

 

この年は、チーム自体がなかなかまとまらない時期もあったのですが、気合を入れたいときは監督が何も言わずとも畔上選手が集合をかけていたのです。

名付けて「あぜしゅう(畔上の集合)」

そんな名前がチームの間に広まったのです。

小倉監督に「畔上がいなければ優勝できなかった」と言わしめるほどの逸材なのです。

 

高校卒業後は、法政大学→Honda鈴鹿へと進みました。

大学の監督は

「畔上はプロに行っても普通にどこかの会社に就職しても将来の幹部候補ですよ。まだ学生だけど、本当に人間的に素晴らしい」

と語っており、これほど人間性が評価される選手も珍しいです。

今後、プロ球団から指名がかかるかどうか分かりませんが、まだまだ表舞台で活躍したもらいたい選手です。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
 

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