永田昌弘監督(国士舘高校野球部)の経歴は?4番の構えが独特過ぎる!

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国士舘高校野球部を10年ぶりの甲子園に導いた永田昌弘監督は、人生のうち40年近く「国士舘」に関わっている方です。低迷していた野球部を復活させるにあたり、そのような手腕を発揮したのでしょうか。今回は、この内容はもちろん、監督自身の経歴や独特のフォームで打席に立つ4番バッターの映像などをお伝えします。
 

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永田昌弘監督(国士舘高校野球部)の経歴

名前:ながたまさひろ

生年月日:1958年1月24日

年齢:61歳

出身地:愛知県

出身高校:中京高校(現:中京大中京高校)

出身大学:国士舘大学

出身企業:東京ガス

大学時代はキャプテンを務め、社会人時代は都市対抗に出場経験があります。

 

【指導者としての経歴】

1983年(当時25歳)~:国士舘高校野球部監督

2006年(当時48歳)~:国士舘大学野球部監督

2016年~:国士舘高校野球部監督に復帰
 


 
1度目の監督就任時期に、春7回・夏1回甲子園に出場しています。

1993年春には、チームをベスト4に導きました。

永田監督が高校の監督を離れている間、チームは低迷期を迎えてしまいました。

その状況を立て直すために、再び高校の監督に就任しました。

 

チームを立て直したきっかけは?

では、永田昌弘監督はどのようにしてチームを立て直したのでしょうか。

2018年夏は西東京大会ベスト4まで勝ち進んだのですが、新チームには試合経験のある選手が少ないため、選手の間では「どれだけ頑張っても甲子園は無理かな」というあきらめムードが漂っていました。

選手の様子に堪忍袋の緒が切れた永田監督が2年生に対し

「もう引退した方がいい」

と言い放ち、2年生の練習を見る代わりに1年生の練習を見るようになったのです。

 

実は、永田監督は以前から

「選手たちが本気で甲子園を目指しているように思えない」

「甲子園から遠ざかっているせいで、強豪校のの伝統のようなものが薄れていた」

と感じていたのです。

 

永田監督に突き放されたことでようやく目を覚ました2年生たちが一丸となり、2018年春の秋季東京大会では見事に優勝しました。

永田監督がとった選手を突き放す方法は、1つ間違えば部が崩壊する危険性もあります。

おそらく、どのタイミングでこの方法を実行するか見計らっていたのでしょう。

とはいえ、選手に考える時間を与えたことによってチームを1つにまとめた手腕は「見事」です。

 

「部の歴史を作った自負がある。また常時甲子園に出られる野球部にしたい」

と力強く語った永田監督

古豪復活となるのでしょうか。注目です。
 

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4番の構えが独特過ぎる!

国士舘高校の4番を務めるのが、新2年生の黒澤孟朗(たろう)選手

構えが独特過ぎてビックリしました。

黒澤選手によると、西武の森友哉選手を参考にしているとのことです。

とはいえ、森選手よりも黒澤選手の方が重心が低いでしょう。

こちらが、黒澤孟朗(たろう)選手のバッティング動画です。

身長が168センチと小柄な方であり、ここまでしゃがまれるとピッチャーからしてみれば投げにくいでしょう。

1月に柔道の寒稽古で故障してしまい出場できるかどうか微妙と発表されていますが、出場すれば注目されるのは間違いありません。

このフォームを、ぜひ生で見てみたいです。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
 

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