小川浩監督(富岡西高校野球部)の経歴は?マネージャーが8人もいた(画像アリ)

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徳島県の富岡西高校が21世紀枠を勝ち取り学校初の甲子園出場を果たしました。チームを率いる小川浩監督の母校は、何と富岡西高校であり、母校に2度赴任しているのです。今回は、小川浩監督の経歴や秋季大会の戦いぶり、さらには8人のマネージャーについてもお伝えします。
 

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秋季大会の戦績

【徳島大会】

準々決勝:富岡西7-0城東

準決勝:富岡西2-3徳島商業

3位決定戦:富岡西9-3池田

徳島3位となり、四国大会出場を決めました。

四国大会での下馬評はそれほど高くありませんでしたが、あれよあれよと強豪校をなぎ倒していったのです。

【四国大会】

1回戦:8-7高知

2回戦:10-6帝京第五

準決勝:3-5松山聖陵

高知高校と言えば、毎年のように明徳義塾としのぎを削っている言わずと知れた強豪校です。

高知を撃破した勢いに乗って、2回戦では愛媛1位の帝京第五に勝利を収めたのです。

 

この結果に対してもっとも不思議に感じていたのが、小川監督

四国大会を踏まえて監督自身が「『勝ちに不思議の勝ちあり』なんですかね」と言っていたぐらいです。

なにせ、四国大会(3試合)の打率が.236で防御率は5.33という結果だったのです。

帝京第五との試合では、ヒットはわずか5本だったものの相手のエラーが重なり、チャンスを確実に得点に結びつけました。

 

準決勝では惜しくも敗れてしまったものの、「互角の戦い」と言っても良いでしょう。

相手校からしてみれば「気がついたら負けていた」という展開になるかも知れません。

それだけに、侮れないチームです。
 

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小川浩監督(富岡西高校野球部)の経歴

名前:おがわひろし

生年月日:1961年2月1日

年齢:58歳

出身地:徳島県

出身高校:富岡西高校

出身大学:國學院大學

選手時代は主に投手としてプレーしました。

高校時代は3年夏にエースとして活躍し、チーム28年ぶりのベスト4進出の立役者となりました。

 

【指導者としての経歴】

●富岡西高校

●城南高校

●那賀高校

●徳島市立高校

●富岡西高校(2007年に復帰)

上記のいずれの学校でも野球部監督を務めました。

2007年に富岡西高校に復帰したときは副部長でしたが、2010年から監督となりました。

私立であれば母校で監督をするケースが多いですが、公立となれば珍しいです。

そのうえで、学校初の甲子園出場を果たした小川監督は、感無量の思いでいっぱいに違いありません。

 

小川監督の采配の特徴と言えば「ノーサイン野球」

●強豪校に勝つには、主体的に考えて行動できるようにならないといけない

●文武両道を取り入れている富岡西に集まる選手であれば、ノーサイン野球が合っている

と考え、取り入れることになったのです。

ノーサイン野球を理想とする監督は多いですが、取り入れるのには勇気が必要です。

富岡西高校では、最初は選手同士で意思疎通がうまくいかないことが多かったのですが、繰り返すうちにプレーの精度が上がってきました。

結果的に甲子園出場を決めているわけですから、小川監督の考えは正しかったと言えます。

うまくいかなくてもやり続けたことで、功を奏したのでしょう。

1つの方法でうまくいかないからといってすぐに違う方法を試すのではなく「できるようになるまでやってみる(やらせてみる)」粘り強さが、指導者には求められます。

甲子園では選手がどのような動きを見せてくれるのか、楽しみです。

 

マネージャーが8人もいた!

富岡西高校の野球部員の人数ですが

2年生:男子21人・女子6人

1年生:男子13人・女子2人

要は、34人の部員に対してマネージャーが8人もいるのです。

たくさんのマネージャーがいる環境で練習ができている部員たちがうらやましいです。

マネージャーたちは口をそろえて「部員大好き!」と言っており、そこまではっきり言ってくれれば、部員たちもうれしいでしょう。

この中から、注目を浴びるマネージャーが誕生するのかも気になります。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
 

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