米澤貴光(関東一高校野球部監督)の経歴は?指導方針が素晴らしく注目を浴びていた!

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関東第一高校野球部が3年ぶりに夏の甲子園に出場します。昨年のドラフトで石橋捕手が中日から指名され、毎年のように好選手を輩出しています。今回は、米澤貴光監督の経歴や、注目を浴びている指導方針についてお伝えします。
 

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関東第一高校2019年夏の戦績

●3回戦:関東一14-2都立葛飾野

●4回戦:関東一6-0青山学院

●5回戦:関東一9-1城西大城西

●準々決勝:関東一9-0立正大立正

●準決勝:関東一9-1日大豊山

●決勝:関東一2-0小山台

決勝戦では息詰まる投手戦の中、8回にキャプテンの渋谷君が試合を決めるタイムリー3ベースを放ち、優勝をたぐり寄せました。

近年、東京都はどの高校が甲子園切符を勝ち取るか予想するのが難しくなっていますが、その中で甲子園出場を勝ち取ったのはお見事です。

チームを率いる米澤貴光は

●ナインは大会前からすごくいい雰囲気だったので、この子たちなら甲子園に届くかもしれないな、と感じていた

●小山台の思いも背負って、しっかり準備をしていい戦いをしたい

とコメントしていました。
 

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米澤貴光監督の経歴

名前:よねざわたかみつ

生まれ:1975年

年齢:43歳

出身高校:関東一高

出身大学:中央大学

小倉監督と親しそうな様子です。

実は、米澤監督が関東一高に在籍していた時、監督は小倉さんだったのです。

(小倉監督は日大三の監督をする前は、関東一高の監督をしていました)

高校時代はレギュラーだったものの、3年夏に元メジャーリーガーの高橋尚成投手と対戦し、見逃し三振に打ち取られて最後の打者となってしまい、甲子園出場はハン足せませんでした。

このときのことを米澤監督は

「サヨナラの場面に強かったけど、あの場面だけ打つイメージがわかなかった。あの時は冷静じゃなくて、考えられなかった。あそこで考えられるよう、練習で準備をしないと、だめなんだな」

と振り返っていました。

大学卒業後は、社会人のシダックスで野手としてプレーを続けたものの、肩を痛めて選手生活を終えました。

2001年秋、25歳の時に関東一高の監督に就任しました。

監督になったころは選手に猛練習をさせていましたが、1度も甲子園に出場できませんでした。

監督自身も疲れてしまい、方針を転換!

すると、その後は10年間で春夏あわせて9度甲子園に出場しました。

実は、米澤監督の指導方針は一般の高校野球の監督とは一線を画しており、見習う点が多いのです。

 

米澤監督の指導指針

米澤監督の指導方針は、選手が「自分からやろう」と思える叱り方をすること

決して、声を荒げることはありません。

例えば、全力疾走をしない選手に対して「何で走らないんだ」と言っても、選手は何も気づきません。

とはいえ、多くの指導者がこのような言い方をしているものです。

米澤監督の場合は

「一歩でもお前が速く走ったらセーフだった。セーフならデカいよな。どうなんだ?」

「全力で走らない甲子園球児はいると思うか?」

といったように、何かしらの気づきを与える声掛けをするのです。

「指導者の役割は、どうすればチームが勝てるのかを選手自身が考えらえるようになること」

とも語っています。

 

とはいえ、怠慢プレーをした選手には叱ることもあるため、決して放任しているわけではないのです。

たしかに、何でもかんでも「こうしなさい」と言われたら、誰だってイヤになってしまいます。

怒られた時だけ改善しようとしても、根本的な解決には至りません。

米澤監督は、そのあたりもきちんと把握されているに違いありません。

全国の指導者には、米澤監督の方針をぜひ見習ってもらいたいです。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
 

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