馬淵史郎監督の名言や経歴は?有力選手2人が明徳中から他高校に進んだ理由は?

Pocket

明徳義塾高校は2020年春の甲子園出場を確実のものとしています。2018年は夏の県大会9連覇を狙ったものの、惜しくも決勝戦で敗れてしまいましたが、2019年夏は昨年のリベンジを果たしました。「強い明徳」の時代はまだまだ続きそうです。今回は、監督を務める馬淵史郎さんの名言や経歴、さらには有力選手2人が明徳中から他高校に進んだ理由についてもお伝えします。

スポンサーリンク



馬淵史郎監督の名言10選

①一生懸命やって失敗した後カバーできる人間になって欲しい

→明徳義塾の選手であれば、全員がこのことを意識しているでしょう。

 

②一生懸命やってもエラーはある

→全国の指導者に聞いてもらいたい言葉です。エラーをしたからといって怒鳴り散らすのは本当に勘弁してほしいです。

エラーしたくてエラーする選手なんで、1人もいません。

 

➂結果が出なかったということは、まだまだやっていることが足りなかった

「傲慢にならずに謙虚になりなさい」ということでしょう。

 

④(敗戦後)甲子園おったら、いつまでもウジウジ考えるだけ。だったらさっさと帰って、新チームのこと考えたほうがええやろ

→明徳義塾は第4試合に登場することになっても、負けたらどれだけ夜遅くなっても帰ることで有名ですが、このような理由があったのです。

 

⑤甲子園は特に独特の雰囲気もあり、流れの行き来が激しいですが、そのきっかけの多くがミス

→甲子園を知り尽くしている監督であり「流れ」には敏感に違いありません。

 

⑥監督のミスを選手がカバーできるようなチームじゃないと甲子園では勝てませんわ

「最高のチームを創りあげたい」という情熱は、未だに衰えていません。

 

⑦(松井秀喜さんの高校時代を振り返り)高校生の中に一人、社会人が混じっているよう

→今でも松井選手に対するリスペクトの気持ちは消えていないはずです。

 

⑧予選は特徴のある審判がいますから

→一体誰の事なのか、教えてほしいです。

 

⑨データはいかに選手に分かりやすく伝えるか。捨てて、捨てて、ポイントだけ伝えます

→これぞ「名監督」の言葉です。データばかり多く集まっても、使いこなさなければ全く意味がありません。

 

ここまで、9個紹介してきました。

私の中でもナンバーワンの名言は、明徳義塾が甲子園優勝時を果たした時のメンバーが語っています。

4:00~5:00あたりで、馬淵監督の名言が紹介されています)

 

明徳義塾高校野球部は100人を超える大所帯で、熾烈なレギュラー争いが毎年繰り広げられています。

「レギュラーになりたければ、チャンスを絶対に掴む準備を常にしておけ!」

この教えは、高校を卒業して大学で野球をしたり社会人になって仕事をする時においても、大切なことだと思います。

チャンスは、いつどんなタイミングでやってくるのか分かりません。

ですが、何も準備をしていない人であれば、チャンスがやってきたことにすら気づかずに素通りしてしまいます。

「選手たちには、社会に出ても様々なチャンスを自分の手でつかみ取ってほしい」

そんな想いを「棚から牡丹餅」という言葉に込めていると思います。

スポンサーリンク



馬淵史郎監督の経歴

生年月日:1955年11月28日

年齢:63歳

出身地:愛媛県

出身高校:三瓶高校

出身大学:拓殖大学

1987年から明徳義塾高校のコーチとなり、1990年から監督に就任しました。

監督歴は、2019年で40年となります。

2002年に夏の甲子園で優勝を果たし、2018年春に甲子園通算50勝を達成しました。

(監督通算勝利数は、歴代5位の記録です)

また、20大会連続甲子園初戦突破という驚異的な記録を樹立しています。

 

明徳義塾の野球は相当ハイレベルとしても知られています。

例えば明徳が守備側で、1アウトランナー1・2塁でセンターにフライが上がったとします。

普通の学校であればセンターが捕球し2塁ランナーのタッチアップを防ごうとします。

ですが、明徳義塾は違うのです。

ケースによっては、センターがわざと落としてダブルプレーを狙うのです。

実はこれ、現在明石商業高校の監督を務める狭間監督が、明徳と練習試合をしたときに起きたプレーなのです。

狭間監督は「してやられた」と感じたようです。

(実は、狭間監督は明徳義塾高校のコーチを経験したこともあります)

これからも、相手どころか観客までも驚かせる采配を披露するでしょう。

有力選手2人が明徳中から他高校に進んだ理由は

2019年に、高校球界に衝撃を与えたのがこのニュースです。

2018年まで明徳義塾中学校に在籍していたテレビでもおなじみの選手2人が、明徳義塾高校を選ばずに他校に進学したのです。

1人目は、関戸康介くん

小学校ではソフトバンクJrに所属していた選手で、当時から名前を知られていました。

進学先は、大阪桐蔭高校です。

 

2人目は田村俊介くん

進学先は愛工大名電で、1年夏から背番号1をつけて試合に出場しました。

 

この2人が明徳義塾高校を選ばなかった理由として、馬淵監督は

「せっかく3年間をここで過ごしたんやから、もう3年間、明徳で過ごして花を咲かせたらどうや、という話はしました。

でも、『よその方が強いから』と言われたら、こちらは何も言いようがない。親御さんの意向もある。隣の芝は青く見えるんやろうね」

と残念そうに語っていました。

しかも、この2人が明徳義塾を離れることが影響したのは、結局10人近くの選手が明徳を離れる決断をしたのです。

 

離れた理由として考えられるのが「甲子園に出られる確率が高い学校に行きたい」という選手たちの思いです。

明徳義塾であれば、甲子園を狙いやすい学校であるような気もします。

ですが、今年は最大のライバルである高知高校に森木大智投手が入学したため、その影響もあったのかもしれません。

たしかに、敵に回すのは手ごわい投手です。

ですが、2019夏の決勝戦では森木投手を攻略した明徳義塾が甲子園出場を決めました。

逆に、大阪桐蔭と愛工大名電は、甲子園に出場しませんでした。

今後、2人は甲子園に出場できるのか、この点も気になるところです。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

スポンサーリンク



Pocket

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です